ヨットとラム酒とカリブの海賊

二〇ノットの風を受けて17メートル弱のヨットが波間を疾走する。

四方は漆黒の闇に囲まれ、最後に人工灯を確認したのはセント・クロイ島の東側を通過した午後十時十二分頃だ。

ほほを撫でる風と、騒がしい波飛沫の音で船が洋上を疾駆しているのが体感できるが、速度を目視できるマーカーは夜のオフショア・セーリングには存在しない。

見上げると頭上には満天の星屑。天の川の少し下にオリオン座がいつもの定位置から見下ろし、すこし遅れてシリウスが明瞭に青白な光を放射しながら追いかける。

緯度十八度のカリブ海ではオリオン座がすいぶんと高い。

星空を背景に黒鉛筆の様なマストの先鋒がユラユラと半弧を描き、見つめつづけるうち、ふと、大航海時代に遡ったかのような錯覚を覚える。

プエルト・リコからベネズエラにかけて1500キロに渡って散らばるカリブ海の島々はヨット・セイリングの理想的地形を保持するとともに、コロンブスの“新世界”発見以来、西欧列強の覇権争いの舞台として海洋史に浮かび上がる。

スペイン艦隊(アルマダ・エスパニョーラ)に表立って抵抗できないフランス、イギリス、オランダ諸国は南アメリカとヨーロッパを結ぶ貿易路を阻害するため、洋上のならず者と密かに結託する。これが世に言う“カリブの海賊”の始まりである。対スペイン勢力国より認可証を受けた海賊(Pirates)は私掠団(Privateers)となり、使役国に上納金を納める見返りとして略奪行為を黙認された。

テロリズムもまたビジネスである。海賊船の乗組員は船の共同経営・出資者となり略奪ビジネス(?)が成功拡大するにつれより高速で、より大型の船へとビジネスモデルを広げていった。

やがて、スペインの牙城が崩れ、残りの覇権国間で利権争いが激化するにつれ、これらの海賊も海戦に飲み込まれ、各国海軍に従軍し、少ない賃金で過酷で危険な労働を強いられることになる。

ハイリスク・ローリターンな従軍生活に嫌気し、元の海賊暮らしに戻っていくものが続出するなか、やがて、平和の訪れとともに彼らの居場所も北アメリカ、マダガスカルへと移転していく。

英国バージン島の南西に位置するノーマン島にある”海賊湾(Privateer bay)”の名に、かつての黄金と略奪と女とラム酒にまみれた歴史の一幕を感じることができる。


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洋上での一夜目はいつも眠れない。体は潮と汗の皮膜に覆われ、船内にある物すべてが湿気を帯び始める。洋感(Sea Legs)が身に付くまでの間はクルーが嘔吐するのを見かけるのもこの頃だ。


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四日目。起床、食事、操舵、セイルトリム、ウォッチ、申し送り、就寝。淡々と繰り返されるオフショア・セイリングの日常が馴染み始めると、横臥と同時に電気を消したように意識がなくなるようになる。まるで、自分が船の一部になり、船は海の一部になり、やがてすべてが海に溶け込んでいくような感覚をおぼえる。二千海里を航海する太平洋横断レース(TRANSPAC)はこれが十日も続くのだ。今回のセイリングはたった四日。それでも航海距離は五〇〇海里におよんだ。普段のバケーションセイリング一週間分の航海を一日で駆け抜ける計算になる。


六日目。ヨットクルー・十人は海を見晴らすバーのテーブルを囲んでいた。名物カクテルのペインキラーは特製マグカップで運ばれて来て瓶底に”Good until the last drop"の刻印と絞首刑にされている男のイラストが描かれていた。
”最後の一滴”と”首つり”をかけているのだ。海賊ジョークのイラストを指差して七日間海を共にした新たな友達と笑った。

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十七メートル弱のHarmony 52は、大の男十人にはすこし狭い。それも、三日目ともなると慣れる。
年齢も職業も違う十人が数日間で互いに命を預け合う無二の親友となるのだからヨットは不思議なところだ。

近しい感情がわいてくると互いの汗と潮のにおいも気にならなくなる....というのは嘘だが。

シアトルの日常にもどってもまだしばらくは心の片隅にカリブ海の南東風が吹いている。

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